第8回「1999年春季&秋季リーグ戦 東大-明大」

東大が開幕カードで明治に連勝して勝ち点を奪い、12シーズンぶりの最下位脱出を果たしたのは1975年秋のリーグ戦でした。それまで明治は東大相手にここ一番で度々星を落とし、当時の島岡監督もそれを嘆いていたのでしたが、このシーズン以降、東大は明治にとんと勝てなくなってしまいます。途中3引き分けを挟み、惜しい試合も幾度と無くありましたが連敗は継続。このまま勝てず、20世紀の終了と同時に100連敗という不名誉な記録が、徐々に現実味を増しつつありました。
そして迎えた1998年秋のリーグ戦、春に優勝を果たした明治と東大は開幕戦で当たりました。東大の先発は遠藤、明治の先発は木塚敦志。2人が先発で投げ合うのはこの時が初めてでした。試合は中盤まで両者好投で接戦も、6回に木塚自らに満塁ホームランを浴びて一方的な展開になり、打線も振るわず完封負け。次の試合も落とし、この時点で対明治の連敗は92に伸びていました。
年が明けて1999年春のリーグ戦。開幕カードの法政戦で通算7勝目を挙げた遠藤は、4カード目に明治を迎え撃ちます。1回戦の先発はもちろん遠藤と木塚。東大は2回に1点を先制されるも、その直後に真鍋邦大が2点タイムリーを放ち逆転。最少リードを保ったまま試合は8回に入り、再び東大が1死1・2塁のチャンスを作ると、仲戸川がタイムリー2ベースを放ち貴重な2点を追加!同期の遠藤に格好の援護をもたらします。
点差は3点に広がり、遠藤も緊張の糸が途切れることもなく最終回も抑え、自身の8勝目を待望の明治からの勝ち星で飾りました。

1999/5/8 明大 - 東大 1回戦
M 010 000 000 1
T 020 000 02X 4
M ●木塚
T ○遠藤

明治相手に24年ぶりの勝利、連敗を92でストップ。東大ナインが沸き返る一方で、木塚は自身がこの記録を止めてしまったことに強い責任を感じていたといいます。
そして迎えた秋の対戦。第1戦で投げ合うのは当然遠藤と木塚。明治は昨季の鬱憤を晴らすかのように序盤から遠藤に襲いかかり、遠藤は5回を8失点でノックアウト。木塚は大量援護にも緩むところは全く無く、出したランナーは遠藤への四球1つだけ、ノーヒットノーランの快挙を成し遂げました。

1999/10/9 東大 - 明大 1回戦
T 000 000 000 0
M 024 112 10X 11
T ●遠藤-中河原-児矢野-真鍋
M ○木塚

結局遠藤はこの最後のシーズンに勝利を挙げることができず通算8勝止まり。日本ハムからの指名を受けて入団するも選手として十分な働きはできず、活躍の場を球団フロントに移すことになりました。一方の木塚は横浜に入団し、次の年の開幕戦で初登板初勝利の快挙。その後の活躍はここで敢えて書くことも無いでしょう。
そして対明治戦の連敗を止めた東大は、次の年の春に優勝を目前にしていた明治を 天国から地獄に叩き落とす という大仕事をやってのけます。さらにその4年後の秋、松家卓弘が1回戦で明治を1-0完封し、3回戦も8回までリードを保って勝ち点寸前まで漕ぎ着けたものの、そこから悔しい大逆転負け。結局今に至るまで実に35年もの間勝ち点から遠ざかっており、勝ち点奪取の夢はこれからの若い選手たちに託されているのです。