第4回「1994年春季リーグ戦 東大-立大」

開幕戦で東大が立大を4-1で下し、リーグ記録となる連敗を70で止めリーグ戦通算200勝を達成した1991年のシーズン。この年の新入部員には後に活躍する好選手が多く揃っていました。後に主将を務め、日本代表の強化選手にも選出された濤岡賢。強打の捕手として鳴らし、卒業後は日本生命に進んだ北村英也。3年春にはセカンドのベストナインに輝き、その後助監督を経てジャイアンツアカデミーのコーチを務める石田和之など…。翌1992年には横手投げの好投手・高橋崇展が加入し、1993年の秋には法政から40年ぶりとなる勝ち点を奪うなど、チームの建て直しは着実に進んでいきます。
一方立教は1990年の秋に法政との決定戦を制して優勝を成し遂げるも、その後は打線が振るわず、1992年春に4位となった他はずっと5位という厳しい時期を送ることになります。そんな中で奮闘していたのが厚木高校出身、高校時代の河原純一との延長16回の死闘は語り草になっている、一般入試で立教に進学した川村丈夫でした。
そして迎えた1994年。濤岡が主将に就任し、昨季の対法政勝ち点奪取の勢いそのままに最下位脱出を狙う東大。最上級生となった川村を軸に、5位からの浮上を狙う立大。両校にとって、まさに集大成の年となります。
春のリーグ戦が始まり、東大は早速今までとは違った戦いぶりを見せます。開幕カードの早大2回戦では初回に後の主将・首位打者である間宮敦が「平成以降では3人しかいない通算30勝投手の1人」三澤興一からソロHRを放ち、この1点を継投で守りきって1-0の勝利。このとき外野席に陣取った阪神ファンは皆が東大の応援についたと言われています。そして慶大2回戦では3回までに5点をリードし、終盤に1点差まで詰め寄られるも、継投で逃げ切って5-4の勝利。どちらも勝ち点奪取はならなかったものの、東大は立教戦を残し2勝8敗の勝ち点0。一方の立教は3勝7敗の勝ち点1。最後の直接対決、東大は連勝すれば単独5位、2勝1敗なら同率5位という状況になります。
そして迎えた東立第1戦。東大の先発は高橋、立教の先発は川村。立教は2回に広池浩司のソロで先制し、その後も一発攻勢で着々とリードを広げます。高橋は6回5失点で降板し、一方の打線は片山英治のタイムリーの1点のみ。川村にリーグ戦通算20勝目となる完投勝利を許し、6位脱出に向け後がない状況に追い込まれます。

1994/5/21 東大 - 立大 1回戦
R 011 021 000 5
T 000 000 100 1
R ○川村
T ●高橋-土屋-鍋島

続く第2戦、東大の先発は尾崎真吾、立教の先発は「両カワムラ」の1人・河村裕泰。東大は初回に1点を先制されるも直後に森原征司が逆転打を放ち、間宮と合わせて計4打点。援護を受けた尾崎は終盤追い上げられるも逃げ切って初完投勝利。同率5位を目指し、決着の場は第3戦に持ち越されました。

1994/5/22 立大 - 東大 2回戦
T 030 010 100 5
R 100 002 100 4
T ○尾崎
R ●河村-奥平-木下

ついに第3戦、先発はもちろん高橋と川村。高橋は第1戦の反省を活かし、緩いチェンジアップを主体に立教打線に的を絞らせません。双方無得点で迎えた4回、東大は無死2・3塁から北村の犠牲フライで先制。6回には石田の2点タイムリー、8回には森原のタイムリーと、効果的に追加点を挙げていきます。高橋は最後まで立教打線に付け入る隙を与えず、4安打完封勝利!

1994/5/23 東大 - 立大 3回戦
R 000 000 000 0
T 000 102 01X 4
R ●川村
T ○高橋

この結果両校ともに4勝9敗1勝ち点で並び、東大にとっては9年ぶりの6位脱出を達成しました。しかし最下位であることには変わりは無く、必ずや最下位脱出の思いを胸に、秋のリーグ戦に臨んでいくことになります。
(第5回「秋季リーグ戦」に続く)