第6回「2003年秋季リーグ戦 東大-慶大」

浅岡の奮闘・河原の決勝アーチにより東大が現時点で 最後の勝ち点 を挙げた2002年秋のシーズン、東大は勝ち点では慶應と並んだものの、結局勝率の差で最下位を脱出することはできませんでした。しかし、この年限りで他校の松坂世代の選手たちが卒業する一方で、東大は松家があと2年間在籍します。そのため、悲願の最下位脱出の期待は近年無いほどに高まっていました。
そして迎えた2003年春のシーズン…しかし故障のため、マウンドには松家の姿はありませんでした。絶対的エースの不在はあまりにも痛く、結局東大は10連敗でこのシーズンを終了。打線も10試合で6得点と低調な中、期待の星となったのはこのシーズンからセカンドのスタメンに定着した杉岡泰でした。開幕の早稲田戦からヒットを量産し、終わってみれば33打数14安打の打率.424。最終的には早大由田慎太郎首位打者こそ奪われたものの、田中浩康らを退けてベストナインに輝きます。これで秋に松家が戻ってくれば、との期待を抱かせるに十分な活躍でした。
そして迎えた秋のシーズン。開幕のマウンドには期待通り松家が立っていました…が、その投球はかつての面影が全く見られないものでした。結局松家はこのシーズンも治療に専念することになり、投手陣の命運は2年生左腕・木村友馬の手に委ねられることになります。
そして早大戦を終え、迎えた明治戦。1回戦は序盤に2点を先制、中盤までリードを保つも8回に追い着かれ、9回には主将・呉本成徳にサヨナラホームランを浴び 惜敗 。2回戦も先制し、終盤まで同点のまま喰らいつくも、9回に呉本に勝ち越しタイムリーを許しまたも 惜敗。1週空けて迎えた慶大1回戦は初回に3点をリードするも、中村太郎に2本の2ランを浴びて 悔しい敗戦 。木村は3試合連続完投負け、あと一歩のところまでは追い詰めるものの勝利を掴み取ることができない、苦しい展開が続きます。
そして迎えた慶大2回戦、東大の先発は小田将司、慶應の先発は清見賢司。この試合も過去3試合同様、接戦の展開となります。そして先に均衡を破ったのは東大でした。5回裏に2死1・3塁のチャンスを作ると、2番・前原大志がセンターに弾き返し勝ち越し。そして続く杉岡の打席、初球を振り抜くと打球は高くライトスタンドへ…この回4点が入り、清見はここでノックアウト。
東大は4点のリードを保ったまま試合は終盤に入りますが、過去3試合と同様、勝利への試練がまたもや東大に襲い掛かります。7回表の慶應の攻撃、先頭の松田芳久に内野安打で出塁を許すと、打撃妨害・エラーが重なり2点を返され3-5。小田は降板、前日の完投に続いて木村が救援のマウンドに上るも、勢いは止められずこの回一気に同点に追い着かれてしまいます。続く8回表も木村は松田に勝ち越しソロを浴びるなど3失点。逆に3点のリードを許し、今日もダメか…の雰囲気が球場に漂いました。慶大は6回から小林康一がマウンドに上っており、7・8回の東大の攻撃は無得点。東大は木村降板後、9回は1年生・升岡大輔が登板し、走者は出したものの無失点で切り抜け、3点ビハインドのまま最終回の攻撃に入ります。
もう後がない東大9回裏の攻撃は、越智啓一朗・細川泰寛にこの試合初安打が出て1・2塁とするも既に2アウト。絶体絶命のピンチに追い込まれましたが、ここから東大は過去3試合の鬱憤を晴らそうかという大反撃に出ます。
まず升岡の代打・藤熊浩平。四球を選び2死満塁、得点は5-8。
続いて打順は先頭に帰り、1番・太田鉄也。フルカウントから粘って四球を選び、押し出し。2死満塁、得点は6-8。
そして、この試合一度は勝ち越しとなるタイムリーを放った前原。「杉岡さんに打順を回せれば、と考えていた」との言葉通り、センターに弾き返した打球は2点タイムリー、8-8の同点に。
絶体絶命の状態から3点差を追い着き、なおも2死2・3塁とサヨナラのチャンスで打席に入るのは杉岡。球場全体が完全に東大押せ押せムードの中、1塁が空いていましたが慶應バッテリーは杉岡との勝負を選択しました。ツーナッシングと追い込まれた後の3球目を杉岡はレフト線に弾き返し…

2003/10/5 慶大 - 東大 2回戦
K 100 000 430  8
T 100 040 004X 9
K 清見-参鍋-●小林康
T 小田-木村-○升岡

結果詳細は こちら 。前原と杉岡の2人で何と7打点、2人それぞれに2度ずつやってきたチャンスにしっかり応えたことが、この大逆転劇を生みました。このシーズン、杉岡(7)・前原(8)の2人で計15打点は春のチーム得点の2.5倍。打率も杉岡は春に続いて3割越え、そして前原は規定打席にわずか2打席届かなかったものの、30打数12安打でジャスト4割。このシーズンに首位打者を獲得した鳥谷敬の打率が.412であり、あと2打席が2安打か1打数1安打であればこれを上回っていたという大活躍でした。
松家の穴はやはり大きく、この年はこの1勝に留まったものの、迎えた2004年春のシーズンについに松家が完全復活。木村と合わせ、チームは年間5勝という1つのピークを迎えることになるのでした。