回顧

マイピクチャの中を漁っていたら、懐かしい画像が出てきました。折角なのでこの機会に、QMAの初期の思い出を書いてみようかと。
本格的にプレイし始めたのが確か2の後期から、既に超銀戦では熾烈なバトルが繰り広げられていたようですが、それとは関係なく下でのんびりとした戦いをしていました。当初から決勝ではスポR1をメインに。問題が3以降に比べてかなり簡単だったとはいえ、青銅以下だとそれなりに刺さるので(龍太郎のエフェで単独正解したことも)、それに甘える形で使っていました。
ただ漫然とプレイしていたこともあって、正解率は酷いものでした。そんなこんなで稼動終盤の11月末にようやく白銀に上がったのですが、余りの超銀戦の濃さに圧倒された記憶があります。そんな中で水銀杯の情報を聞きつけ、好奇心から見に行ってみることにしました。もちろん知り合いなどいない…はずが、QMAを始める前からのリアル知人(学並使い)を見かけてびっくり。いや、見かけただけですが。大会の熱気に直に触れ、QMA3ではもう少し頑張ろうと思いつつ、QMA2の稼動が終了しました。終了時でのスポR1の正解率は94.4%ぐらいだったと記憶しています。


そして12月の中旬にQMA3が稼動開始しましたが、正月明けには既に賢者に昇格していました。やりすぎですね。そこまで根を詰めた原因は2→3でのスポR1の難化。トナメの予選中でも6問中4問しか取れないことがしばしばで、危機感を覚えました。今から考えると、この危機感が今に繋がっていったような気も。まずはQMA2の終了時点である94.4%を超えることを目標に、それが達成されたら95%を目標に。どうにか2月中旬に95%に到達しました。
この頃から店舗大会のことが気になりだしていたのですが、最初に参加したのはWBC準決勝と同じ日に行われた大宮での大会でした。出題ジャンルは籤引による方式で、スポが引けずに1回戦で散ったものの、力は出し切れました。打ち上げで自己紹介があったのですが、自分のCNの認知度が意外と高かったのに驚き。まあ、当時はあからさまにスポR1な名前でしたからね…
その後は新年会や店舗大会にもぼちぼち参加して、スポR1縛りの機会もままあったのですが、ここで学業の問題が。学位取得を延長するわけには行かなかったので、夏以降QMAとは距離を置くことにしました。賢竜杯には行ったんですけどね。


色々ありながらもどうにか*1学位を取得した頃には、既にQMA4の稼動が始まっていました。この機会にCNを一見スポR1使いっぽくない名前に変更して、そのまま今に至っている次第です。


思いつくままにだらだらと書いてしまった文章ですが、ご一読いただいた皆様、どうもありがとうございます。
今日のQMAは2-3-0-0#2-1-1、黄金十段→白金初段。ようやく宝石が見えてきました。

*1:本当にギリギリでした。ここを前研究室関係の方が見ているかどうか分かりませんが、色々お手数をお掛けしました。