第1回「2002年秋季リーグ戦 東大-立大(前編)」

1998年に甲子園を大いに沸かせた松坂世代。松坂を初めとして高卒直後にプロ入りした選手が活躍する一方で、大学進学を選んだ選手も多くいました。浜田高校の和田毅早大に、八千代松陰高校の多田野数人PL学園上重聡は立大に。六大学以外では、東福岡高校村田修一は日大、沖縄水産高校の新垣渚九州共立大など…全員を紹介するにはスペースが足りるはずもありません。
彼らが大学4年となった2002年の大学野球界は、かつてないほどレベルが高いといっても過言ではないものでした。早稲田の不動のエースとして、江川の通算奪三振記録を塗り替える勢いの和田。キレ抜群の速球とスライダーを武器に、立教の大黒柱として奮戦する多田野。法政には土居龍太郎、慶応には長田秀一郎。そして、明治は2年生の若きエース、一場靖弘が台頭していました。
そして東大の2年生・松家卓弘。その前年にはプロからの指名打診も断り、現役で東大に合格した「東大史上最強右腕」の登場を受け、近年に無い高揚感と期待感に包まれていました。
そして始まった春季リーグ戦、しかし東大は勝てませんでした。法政には0-2の完封負け。早稲田には0-4の完封負け。いくら抑えようと、点を取れなければ勝てません。結局、春は防御率1.96という素晴らしい成績ながら勝ち無しの5敗に終わってしまいます。この時の投手成績を見れば分かるように、松家の成績はその後プロ入りし活躍している投手にも何ら引けをとらないものでした。
一方で、打撃に関しては何も見所の無いシーズンだったかと言えばそうでもありません。2年生の杉岡泰・太田鉄也・藤熊浩平などの新戦力が台頭し、秋に向けて十分な期待感を抱かせるものでした。


そして迎えた秋季リーグ戦。しかし、松家は調整が遅れ、開幕には間に合いませんでした。そこで、今まで東大投手陣を支えてきた浅岡知俊が再び第1戦のマウンドに立つことになります。4年春までの通算成績は0勝24敗。最後のシーズンを迎え、雑誌『大学野球』に「負けしか知らない人間では終わりたくない」と、悲願の初勝利への並々ならぬ思いを語っていました。
しかし開幕の早稲田戦では大量失点。初勝利は遠いように見えて、しかし浅岡はピッチングの修正すべき点を把握していました。
そして第2週、対立教1回戦。東大の先発は浅岡、立教の先発は多田野。浅岡は前回の反省を活かし、丁寧なピッチングで立教打線をかわしていきます。そして多田野も自由枠候補にふさわしいピッチング。双方無得点で迎えた5回、均衡を破ったのは東大でした。浅岡がヒットで出塁した後、杉岡が先制のタイムリ二塁打、続いて細川泰寛の二塁打で追加点。一方で浅岡は度々ランナーを出すものの、要所を締めて得点を与えないまま、最終回に突入します。
2-0と東大リードのまま迎えた9回裏、立教が最後の意地を見せます。連打でランナーを溜め、2アウトからタイムリーヒット、点差は1点差。なおもランナー2塁3塁となり、一転、東大は逆転サヨナラの窮地に立たされます。
しかしここで踏ん張った浅岡、最後の打者を三振に打ち取ってゲームセット!悲願の完投勝利を挙げました。浅岡は試合後、感極まって涙を流していたといいます。今までの苦労が報われた、そんな勝利でした。試合の詳細はこちら

2002/9/21 東大 - 立大 1回戦
T 000 020 000 2
R 000 000 001 1
T ○浅岡
R ●多田野-速水

余談ですがこの日、東京ドームで日本ハム-ダイエー戦が引き分けたため、西武のパ・リーグ優勝が決まりました。


しかし、もう1勝しないことには勝ち点は取れません。松家を欠いたままで依然として苦しい東大、第2戦の先発にはそれまで中継ぎでさえも登板経験のない1年生左腕・木村友馬を起用します。前日の鬱憤を晴らすべく奮起した立教、木村を早々にKOし、3回を終わって0-10。やはり昨日の試合は偶然だったのか…と、そんな雰囲気が球場を支配します。
しかし、この試合はいつもと違っていました。大量リードされた後に小刻みに点を奪い返し、結果は4-14。諦めずに喰らいついていった打線が、この次の日に起こる二度目の奇跡を暗示しているかのようでした。


前編は以上で、後編は第3戦についての予定です。
しかし、自分ながら読んでいて疲れる文章ですね。最後まで見てくださった方がいたら本当にありがたいです。