西日本の旅 3日目

大正義新快速でこの日の行動開始。阪神甲子園駅に比べ格段に質素な佇まいの甲子園口駅で降り、当初は球場まで歩く気満々だったものの、出口の「バス約10分、徒歩約40分」という誘惑に敢え無く負けて阪神バスに乗車。猛虎魂溢れるローソンを通り過ぎ、WBSC U-18決勝 以来となる甲子園に到着しました!
   

西日本の旅 2日目

宿を発って米子駅に着くとホームは生徒で大賑わい。そういえば今日は平日だったと出発が遅れたことを後悔しつつも何とか窓際の席を確保し、とらドラ!パークならぬどらドラパーク、鼠の国行きのバスが出ていない浦安、コナンの街北栄などを通り過ぎて倉吉で下車。
   

倉吉駅から倉吉の中心街は離れているため、まずはバスでスーパーヒーロー倉吉へ。ゲーム内の店名がしっかりスーパーヒーロー倉野川となっていることを確認して鳥取行脚の足跡を残しました。
 

店舗の裏から伸びている遊歩道は廃線となった倉吉線の跡地。旧打吹駅まで続いている遊歩道を歩き切ると、そこには倉吉線の鉄道記念館が。当時を偲ぶ設備や写真、さらには倉吉東がセンバツに出場したとき(この時既に廃線後でしたが…)のヘッドマークなどが所狭しと並べられた館内で一際目を見張ったのが打吹駅舎前でのラジオ体操の写真。ここに写っている子供が今は街中の年配の方々なんだなあと思うと無性にこみ上げるものがありました。
  

情緒溢れる町並みを一通り散策した後、お昼は名物牛骨ラーメン。折角なので牛スジ丼とのセットで注文、牛尽くしで美味しくいただきました。
 

他にも琴櫻記念館など見るべきところは沢山残っていましたが、時間の都合上名残惜しくも離脱。スーパーはくとで智頭まで向かい、普通列車に乗り換え。
 

わざわざ乗り換えた理由は智頭駅の次の恋山形。駅を恋仕様にしたとは聞いていましたが、駅舎だけではなく辺り一帯の柵、果ては電話ボックスまでピンク一色。想像以上のガチ恋でした。
  

その後は隣が佐々木小次郎駅ではない宮本武蔵駅を通り過ぎ、佐用姫新線に乗り換えて姫路に到着。既に日も暮れており姫路城の中に入ることは叶いませんでしたが、可能なところまで近づきその威容を目の当たりにして満足。最後に兵庫行脚の足跡を残して宿にチェックイン、明日に備えて早めに床に就きました。
   

西日本の旅 1日目

今年は春分の日が木曜日ということで、土日とくっつけ4連休にして旅に出ることにしました。まずは6時発のひかりに乗って広島へ。芸備線で訪れて以来 4年ぶり となる広島駅でしたが、昨年の豪雨の影響で芸備線は未だ狩留家止まり…。一刻も早い全線再開を願うばかりです。
 

駅前にギガゾーンがあるという好立地なものの、今回乗り換えに残された時間はわずか20分。流石にリスクは犯せず、今回は行脚は見送ることにして高速バス乗り場へ。2時間半弱で浜田に着くといういさりび号に乗ったものの、広島バスセンターまでの道が大渋滞…。高速道路に入ってからはスムーズになったものの、遅れを取り戻すまでには至らず、浜田駅に着いたときには既に特急は出発した後でした。
  

のっけから計画の変更を迫られることになったものの、ともかく次のアクアライナーに乗車。江津から下が紙で覆われた路線図や、役目を終えた江津駅の3番ホームを目の当たりにして三江線廃線になった現実を突きつけられつつ、大田市に到着。
   

大田市といえばやはり石見銀山佐渡金山 に遅れること7年、ようやく訪問の運びとなりました。バスで大森代官所跡まで行き、すぐそばの資料館へ。生憎撮影は不可でしたが、鉱物や資料の展示をしかと目に焼き付けた後、銀山公園までの町並み地区を散策。道中高台には代官所祈願寺であった観世音寺が鎮座しており、せっかくの石見銀山ということで「岩見が2年目頑張りますように」「開幕戦で三浦二を打ち崩せますように」と祈願してきました。
   

お次は銀山地区。歩きで回るには時間が足りないということで自転車を借りることにしましたが、選択肢は500円の普通自転車と700円の電動自転車。迷いつつも電動自転車をオススメされたので従ったところ、龍源寺間歩までの上り坂が想像以上にきつく、この選択が大正解。ひんやりとした坑道は時折水滴が頭にしたたり落ち、天井も低く当時の採掘の過酷さが偲ばれました。
   

無事時間内に一通り見終わったところで、駅に戻って再び列車旅。出雲市駅では上りサンライズの誘惑を受けるも華麗にスルーし、この日の宿泊地の米子に到着。 改札が自動に変わっていたものの、今回のきっぷは補充券のため使えず、4年前 と同じく有人改札で下車。久しぶりの甲子園出場を果たした米子東への応援メッセージを見届け宿に到着、イチローの引退会見を見ながら寝床に就きました。
   

3年連続でビジター開幕となったイースタン開幕戦を観てきました。5年ぶり の来訪となった戸田はLED式スコアボードが設置されるなど進化を遂げていましたが、客席の少なさは相変わらずで、到着時にはチケットは既に完売。仕方無く土手の上から眺めることにしました。
開幕投手は追浜が育成2年目の中川虎、戸田がドラ1ルーキー清水。プロの先輩としての威厳を見せたい中川虎でしたが、立ち上がりに連打を浴び2・3塁のピンチを招くと、井野の打席でワンバンが暴投となり失点。さらに2死満塁から藤井に三塁線を破られ、いきなり3点を失ってしまいます。
それでも2回以降は立ち直り、5回まで3人ずつで片付けたものの、打線が清水の前に沈黙。ようやく5回に飛雄馬の右中間を破る2ベースから1死2・3塁のチャンスを作り、嶺井の2点タイムリーで1点差に迫るも、後が続かずに追いつけず。
結局清水は5回2失点、勝ちの権利を残したまま降板され、6回からは日ハムから移籍の高梨。乙坂の快足を飛ばしての内野安打と2四球で2死満塁と攻め立てるも、大河が右飛に倒れ無得点。するとその裏登板の平田が1アウトも取れないまま3点を失い、どうにか2死まで漕ぎ着けるも、川端に走者一掃のタイムリーを打たれ6失点…。7回は独立から復帰の古村が登板、すんなり2アウトを取るも、そこから突然制球が定まらなくなり6連続四球…。代打で出てきた中山も一度もバットを振ること無く歩かせ、この回さらに3点を失います。
試合展開に呼応するかのように、中盤までは暖かかった天気も雨雲の到来とともに急に冷え出し、そして横殴りの雨。打線も戦意喪失したかのように、7回以降は高梨にあっさり捻られて試合終了。前途多難な開幕戦となってしまいました。

公式戦用ユニフォームを一新

https://tokyo-bbc.net/news/news_20190304_01.html
創部100周年の幕開けに相応しい大ニュース。ライトブルーを基調に、銀杏の黄色をあしらったユニフォームで心機一転、今春からの戦いに挑むことになりました。
前回フルモデルチェンジが行われた1991年はそのお披露目となった春の開幕戦で連敗を止め、そのときの新入生が最上級生となった年に最下位脱出を果たしているだけに、今回もこれから始まる旋風のきっかけとしてほしいですね!

JAEPOで発表された次回作、軌跡の交叉のロケテに行ってきました。MAXIV CORDのときは待たされることもなくすんなりプレイできた記憶がありますが、今回は遅い時間帯にもかかわらずウェイティングシートで管理するほどの大賑わい。しばし待ってようやく出番となり、同店舗の4人で協力クイズに出発。一方通行クイズに面食らったり分からない協力線結びをギリギリまで待った挙げ句時間切れになったりと迷惑をかけまくりでしたが、同行者のお蔭でなんとか圧倒的大勝利を果たしました。
今回選べたのは協力のみでしたが、メニューを見た限りでは今作のモードは一通り残っており、一方で新形式や新制服が導入されたりと、誰でも楽しめる間口の広さをアピール出来ている印象。おそらくは新元号の時期となるであろう本稼働が今から楽しみですね!

競泳女子の池江璃花子がツイッターで白血病を告白

https://www.nikkansports.com/sports/news/201902120000355.html
この若さで、この時期に…。言葉になりません。
だからと言って私に出来ることなど殆ど無いのですが、せめてもの貢献として、以前に経験した骨髄バンクドナーの体験記を可能な範囲でここに書いていこうと思います。あまり大した内容にはならないでしょうし、いつ書き終わるかも分かりませんが、検索して来た人の助けになれば幸いです。

ドナー体験談

ドナー登録

コミケ献血ポスターの企画が始まってから献血の頻度も増え、少し暇があれば献血ルームに行くようになっていたある日、ルームの入口付近に見慣れぬブースを発見。これが初めてのきっかけでした。成り行きで説明を受けることになり、提供には献血より厳しい健康基準が求められること、採取の際の入院に加えて度々の通院が必要になることなどを聞きました。
説明を一通り聞いた後、正直社会人にはハードルが高いなあと思いつつも純粋な好奇心のほうが勝ってしまい、休暇取得も当面は何とかなるだろうという甘い見込みのもとその場で申込みを行うことに。↓のドナーカードを受け取って財布に入れておきましたが、その後しばらくは連絡が来ることもなく、たまに郵送されてくる骨髄バンクニュースで登録していたことを思い出す、といった具合で数年が経ちました。

ドナー適合通知

そして普段どおり仕事をしていたある日、突然スマホに見慣れない番号からの着信。番号で検索したところ不審な番号では無さそうだったので出てみると、骨髄バンクのコーディネータの方で、HLA型の一致する患者さんがおりドナー候補者の1人に選ばれたとのこと。まさに寝耳に水の話で、その場では明確な回答も出来ませんでしたが、とりあえず詳細の封筒を郵送するとのことで、それを待つことにしました。
そして数日後に帰宅すると封筒が届いており、開けてみるとハンドブックと返信用紙が入っていました。まずはハンドブックをざっと読み、提供には家族の理解と同意が必要であることを把握。両親に打ち明けると、長年の経験から反対はされないだろうという読みどおりあっさり認めてくれ、職場に対してもそれとなく可能性を示唆した上で、同意する旨の返信用紙を書くことに。提供意思確認書・問診票・希望施設に記入し、返送を行いました。

初回面談

返送から1週間ほど経った頃に初回面談の書類が到着。内容は面談の日時および内容、担当医師の名前、持参する物リストなどで、特に本人確認書類は絶対必要(無いとコーディネートが進められない場合がある)とのことでした。
必要な物を準備し、ハンドブックも一通り読んだ上で当日を迎え、病院の入口でコーディネータと初対面。まずは病院のカードを作成してから面談室に向かい、担当医師と対面して面談の開始。自己紹介の後、ハンドブックの内容に沿って説明を受けました。その中で提供のリスクに関する説明もあったものの、死亡例は血縁間の1例のみで、提供時よりも病院に向かう途中での交通事故の方がずっと確率が高いという印象。提供の気持ちが揺らぐことはなく、説明を終えた後は血液検査。普段の献血ですっかり慣れたもので何ともなく終了し、交通費を実費で受け取ってこの日は解散。午前中で終わったため、半休として午後は出社しました。

ドナー正式決定・最終同意面談

さらに1週間が過ぎた頃に連絡があり、正式にドナーに選定されたとの知らせ。合わせて最終同意面談の予定について伝えられ、家族1人の同席が必須とのことで、父に仕事を休んで来てもらうことにしました。続いては職場の休暇申請、もし認められなければ仕事を辞める覚悟で伝えたところ、あっさり受理され一安心。
そして最終同意面談の場へ。初回面談のときと同じような説明が父も交えて行われた後、いよいよ決断を行うことに。書類数点に面談の各出席者がサインを行ったことで後戻りは出来なくなり、今後の健康診断の予定について伝えられた後解散となりました。

健康診断

朝ごはんを抜いて病院へ。健康診断自体は尿検査・血液検査に加えて肺活量測定を行う程度でしたが、むしろこの日のメインは様々な同意書への署名。まずは全身麻酔を受けることへの同意、続いて自己血を予め採取しておき採取中に自己血輸血を受けることへの同意、さらに血液が検体保存事業に適切な管理のもと利用されることへの同意。それぞれ矢継早に説明を受けて署名を行っている間に健康診断の結果が出揃い、総ビリルビンの値が若干高いもののまあ問題は無いだろうということで無事通過。最後に自己血採血を2回に分けて行うことが伝えられ、1回目の日時を示されて解散となりました。

自己血採血

今回のドナーは大人の方とのことで、多量の骨髄を採取するため必要な自己血は800ml。400ml献血なら8週間空けなければならないところ、中1週間で2回採取する強行軍となったため、2週間にわたり増血剤を服用することに。事前に説明は受けていましたが、増血剤の影響で黒くなった便は中々のインパクトでした。採血自体は普段の献血で慣れていたため何事もなく終了。次回はついに入院しての骨髄採取ということで、病院のマニュアルを受け取りました。

入院当日

入院は骨髄採取の前日午後ということで、仕事を午前で切り上げ、一旦帰宅して着替え等を入れた荷物を持って病院へ。入院中のスケジュールについて説明を受けた後、支度金として受け取った5,000円でT字帯を購入して病室へ。病室は個室、高層階で眺めも良く至れり尽くせりでしたが、如何せん夕方というにもまだ早い時間帯で時間を持て余すばかり。フロア中の休憩スペースの本を読んだりしているうちにようやく夕食の時間。思いのほかしっかり分量のあった夕食をいただいた後、慣れない環境で睡魔が襲ってきたので早々と就寝しました。

採取当日

骨髄採取は午前中に行われるということで、起床して手術衣に着替えてスタンバイ。事前のアナウンス通りに病室に移動式ベッドがやってきてそのまま乗せられ、エレベータで採取室へ。手首に管を刺され、麻酔注入が始まり…というところで記憶が途切れ、気付いた時には採取完了。穿刺した箇所の痛みはありませんでしたが、それよりもカテーテルの痛みが厳しく、病室に戻っての排尿の際も歯を食いしばって行うことに。事前に説明を受けていた通りの発熱もあって午後は殆ど寝ているばかりでしたが、ようやく夕方には落ち着き、昨日とほぼ同じ量の夕食も完食。とは言え本を読むような気分では無く、昨日同様早々と就寝しました。

採取翌日

上で早々と就寝しました…と書いておきながら、実際はだるさと排尿時の痛みのためにベッドで蹲るだけで、ろくに寝られないまま翌朝を迎えることに。それでも昼頃にはだいぶ落ち着き、フロアを歩き回ったり本を読んだりできるほどに回復。夕方には明日の退院の準備を済ませ、昨日眠れなかった分を取り戻すために早々と就寝しました。

退院~その後

10時間睡眠の甲斐あって近年稀に見る爽やかな目覚め。体温も平熱に戻ったことで退院のGOサインもいただき、最後の朝食を済ませ、名残惜しくも病室に別れを告げてフロントへ向かい退院の手続き、そして退院。翌週から仕事に復帰し、2週間後の面談でも特に異常無しということで、最初の連絡から数か月に及んだドナーの役割も無事完了。2回目の提供でもお世話になることを祈って、最初から最後までお世話になり続けたコーディネーターに一時の別れを告げました。